皆様との接点

皆様との接点を少しでも見つけていただけるよう、これまでの出来事を箇条書きで思いつくままに書いてみました。

ネガティブな出来事は赤色で、ポジティブな出来事は青色で表示しています。

プロフィール

【幼少期】

・5人兄弟で、経済的に貧しい家庭でした

とにかく泣き虫だったようです

【幼稚園時】

・不器用で、弱視で視力も悪かったです

・いま思えば、当時から発達障害の傾向があったように思います

・なぜか幼稚園のころから、仲間外れにされたりいじめられたりしました

・やはり泣いてばかりいました

・あまり楽しい思い出はありません

・この時期から既に生きづらさを感じていたのだと思います

【小学時】

・入学早々上級生にいじめられ、同級生に仲間外れにされました

殴られたり、蹴られたりしてみじめでした

・そのため、集団登校が苦痛で仕方ありませんでした

・上級生からの遊びの呼び出しに出たくなく、トイレで隠れていました

仲間外れの同級生を仲間に入れ、先生から褒められました

・いつも自分が仲間外れにされていたから、そういう人の気持ちが分かったのだと思います

・春休み、夏休みは高校野球を全試合テレビにかじりついて見ていました

・地元のプロ野球チームの熱狂的なファンでした

勉強だけはできました、それだけが自分のプライドを満たしてくれました

・お金のことで父母がよくケンカして、見ていて辛かったです

・とにかくものをなくしたり、忘れ物が多い子でした

先生によくしかられ、廊下に立たされていました

・裁縫の時間は、針の穴に糸を通せず、1時間が終わりました

・あまりに不器用なので、短期間ピアノを習いました

・かなりの人見知りで、中学になじめるか不安でした

・今にして思えは、、発達障害傾向がやはり強く、生きづらくしていたのだと思います

【中学時】

・やはり、団行動や人前に出るのが苦手、恥ずかしがり屋でした

・集団スポーツは向かないと思い、陸上部に入りました。

・地元で有名な荒れている中学校で不良にからまれて殴られました

・目立つのが嫌いなのに、やはりクラス役員を毎回やらされていました

・友達は少なかったのですが、親友はいました

地元でトップの公立高校と私立高校に合格、今思えば当時が全盛期でした

【高校時】

・入ったころは真ん中くらいでしたが、勉強を全然しなかったので、成績が急降下しました

・周りにとんでもなく賢い人が多く、愕然としました

・やはり人見知りで、友達がほとんどできませんでした

・毎朝腹が痛くなり、何度もトイレに行くので年間40回以上遅刻でした

・高校時代もほとんど勉強せず、成績もどん底で暗黒の3年間を過ごしました

・集団行動が苦手で修学旅行や学校祭の準備が苦痛で仕方なかったです

【浪人時】

・窮屈な学校生活から解放され、少しやる気を取り戻す

・中学からの親友と2人で宅浪生活を送る

受験に失敗し絶望するも大学時に難関資格合格により巻き返しを誓う

・早速春休み中から簿記3級の勉強を開始しました

【大学時】

・1年6月に簿記3級、2年6月に簿記2級に合格しました

・大学1年時に国税局の方が大学に来て、年収がなかなか高いと知りました。

・大学2年6月の簿記2級受検後、国税専門官試験に集中することに

・大学の授業にはほとんど出ず、図書館で勉強漬けでした

・息抜きに将棋部の部室で将棋を指すのが楽しかったです

・将棋の団体戦に出場したのが一番楽しい思い出です

・大学3年6月の国税専門官試験に受験、記述ができなさ過ぎて受かる気がしませんでした

・人事院に合格発表を見に行き、まさかの合格、めちゃくちゃ嬉しかったです

・就職先を確保したので民間の就職活動をする必要がなくなりました

・国税に行きたかったではなく、難関資格を目指すための保険でした

・当時文系三大難関資格の1つである不動産鑑定士試験を目指すことにしました

・専門学校に通い、残り1年のほぼすべての時間を投下して合格を目指しました

・が結果は無念の不合格、夢は破れてしまいました

・最終的には唯一合格した、国税専門官になりました

・大学生活はそれまでの人生の中で一番楽しく生き生きしていた時期でした

【1署目】

専門官基礎研修の雰囲気にかなりの違和感を覚えました

基礎研も2人部屋でとても苦痛でした

・希望最下位の徴収部門に配属され、非常にショックを受けました

・最初からパワハラのきつい部門に入ってしまいました

・無理がたたり、1年目で潰瘍性大腸炎にかかりました

1年目は踏んだり蹴ったりで終わりました

・何とか2年目は結果を残すことができ、少しだけ自信がつきました

・3年目は管理になりました。ちんぷんかんぷんでした

【2署目】

・宿舎を出て、民借を借りました

・徴収を希望しましたが、管理でした

・まわりの人が仕事を教えてくれました

・比較的平和に時は流れました

【3署目】

・1年で別の署の総務係に転勤になりました

・パワハラ強烈課長が君臨していました

仕事の引継ぎを受けられなかったりでとても苦労しました

パワハラで何度もつぶれそうになりました

公務員宿舎に転居しました、周りに同じ職場の人がいて嫌だったです

ネット将棋サークルでの活動が、唯一の癒しでした

・3年で任期満了し、法人に交流になりました

法人部門もパワハラが強烈、統括が次々と潰れて辞めていきました

・交流出身ということで仕事はほとんど教えてもらえませんでした

・2年間適当にやりすごしました、スキルは身に付きませんでした

【4署目】

・ようやく徴収に帰ってこれました

・出世意欲がなく1回目の専攻科の入試はパスしました

専攻科の試験に受かってしまい、人生設計が大きく狂うことになりました

専攻科では庁や局で活躍している人ばかりで劣等感を感じました

・マネジメントや物事に対する考え方の部分など役に立つこともありました

・人間的に素晴らしい仲間や教授にめぐまれましたが、やはり団体行動が苦手でした

・専攻科帰りということで、成り行き上局希望を出さざるを得ませんでした

【局勤務時】

・いよいよ恐怖の局勤務、局徴収課配属になりました

・現場の知識も経験も全然ないですし、全く自信がありませんでした

・それ以上に苦しめられたのが人間関係とパソコンスキルでした

毎朝腹が痛くなり地下鉄のトイレがお友達でした

・詳細は書けませんが、さまざまな経験をさせていただきました

・無理言って二年で出してもらいましたが、ポストは横滑りでした

・このとき自分はこの組織で上に立てないことが決まったのだと思います

・自分の実力不足で、自分の身の程を知りました

局から脱出できて、心底嬉しかったです

【5署目】

・徴収部門に戻りました

この頃が一番現場が楽しかった時期かもしれません

・いろいろ企画をして、若手メンバーと一緒に協力して仕事できました

【6署目】

・署の広域審理担当になりました

・異動の仕方からして出世コースから外れていることに気付いてきました

現場経験も少ないのに審理は辛かったです

毎日いろんな署にいけたのは楽しかったです

【7署目】

・徴収の総括担当になりました

・このころから上からの風当たりが厳しくなってきました

飲み会にいってもつまらないと感じるようになりました

上と度々意見の対立がありました

・総務課長補佐に横滑りとなりました

ここでの仕事は職場人生の中で一番つらかったです

毎日が緊張と失敗の連続でした

・補佐の仕事の詳細は触れませんが、心身の疲労が限界に達しました

・やむを得ず、心療内科にいくことを決意しました

・診断は適応障害、ちょくちょく時間休を使いながら対応しました

職場で感情を制御できなくなる場面が増えてきました

毎日の出勤が辛くて辛くて仕方なかったです

組織にパワハラを訴えましたが、にぎりつぶされました

・職場提携カウンセラーに申し込みましたが、ますます腫物扱いに

精神疾患を患ってしまったため、評価は最低だったと思います

【8署目】

・署の一般上席に格下げとなりました

・上席は10年を超え、完全にキャリアは終わったと感じました

・徴収の現場はすっかり様変わりしていました

・猶予制度の新設により、仕事のやり方がすっかり変わってしまいました

・徴収職員の裁量の幅が小さくなって仕事がしづらくてしょうがありませんでした

・仕事に対する情熱を完全に失ってしまいました

・仕事はラクでしたが、周りの視線が辛く感じられました

精神疾患を経験したことが周りに分かるととてもやりづらくなります

・ついに電池が切れてしまい、仕事に行くことができなくなってしまいました

・病名は適応障害⇒うつ状態⇒双極性障害と変わっていきました

・ありとあらゆる薬を飲みましたが症状は改善しませんでした

・人生に絶望し、休みは長期化していきました

・最初の2か月間は布団の中、呆然としていて何も考えられなかったです

・暇さえあればネットで情報収集し、いろいろなことを学びました

・民間カウンセラーのカウンセリングを受けましたが、問題は解決せず

・一番のネックは職場環境そのものであったため、カウンセリングは効果ありませんでした

・心療内科医に自分の気質(HSP,アスペルガー)について教えてもらいました

HSPについて勉強した結果、自分のこれまでの生きづらさの原因に気付きました

・自分の気質を受け入れ、この先どうやって生きていこうか真剣に考えました

・自分が出した結論は国税の職場を去ることでした

・転職先を必死に探しましたが、まともな就職先はほとんど見つかりませんでした

・何社か応募するも失敗、ようやく外資系生命保険会社を見つけました

・家族は転職には大反対、税理士資格をとるまであと1年何とか粘れないかと説得されました

・娘は大学受験期だったので、本当に申し訳ないことをしたと思っています

・修羅場を重ねた結果、最終的は妻が折れて、転職を許してもらえることになりました

・復職プログラムを経て復職も、上司に退職の意思を伝えました

・多少の紆余曲折はありましたが、粛々と退職手続が進められていきました

・いよいよ退職の日を迎え、誰からも見送られず、ひっそりと職場を去りました

【外資系生命保険会社時】

・入社時に気力を取り戻し、やる気にみなぎっていました

・国税で結果を出せなかったので、絶対に結果を出そうと誓いました

・新人研修を受けに行き、さまざまな職種経験の人がいて驚きました

・皆ベースマーケットを持っていて、途端に自信がなくなってきました

・現場に戻り、飛び込み営業1本で2000件以上回りました

・結果として、1件も契約に至らず、夢破れました

3か月0で強制辞職に追い込まれました

【現職時】

・再び転職活動開始、フラック企業か給料が安い企業しかありませんでした

・もうすっかり諦めモードでどこでもいいやと思ってしまいました

・偶然今の職場に拾ってもらえました、塾の新校舎立ち上げの仕事です

・生命保険での失敗がうそのように、どんどん入塾をいただけました

生徒数も増え、当初の校舎では手狭になったため、校舎移転を果たすことができました

・従業員からフリーランスに変更し、業務委託になりました

【共通事項】

・共働き家庭、1人娘の父です

・簿記2級、FP2級、宅建、メンタルヘルスマネジメント検定など取得し資格マニアです

・野球と将棋をこよく愛していますが、どちらも下手で観る専門です

・現在の仕事は人の役に立てる仕事でとてもやりがいを感じています

・日本将棋連盟の支部長を務め、プロのタイトル戦の誘致活動をしています