皆さんはじめまして、公務員(国税従事者)専門カウンセラーの山口 てつやと申します。

こちらのプロフィールページをご覧いただき、ありがとうございます。

こちらでは、私のこれまでの生い立ちや、どのような思いでカウンセラーを志したのかをお話ししたいと思います。

拙い文章ではございますが、最後までお読みいただけますと幸いです。

辛い出来事にも意味がある

生きづらさを感じていた子ども時代

私はカトリックの両親のもとに生まれ、経済的に貧しい大家族の家庭で育ちました。

一才年上に姉がいましたので、子どもの頃、女の子と遊ぶことがありました。

それを理由に上級生からいじめられました。からかわれたり、蹴られたり、殴られたり。

本当に辛くて、泣いてばかりいました。

上級生が家に呼びに来た時に、トイレのカギを閉めたまま出なかったこともありました。

また、おもちゃを買ってもらえなかったり、テレビを見せてもらえなかったため、友だちの会話の輪に入れず、一人ぼっちでいることが多くなりました。

そして、だんだん人に対して心を閉ざすようになっていきました。

また、カトリックを信仰していた関係もあり、子供の頃から、死について考えることが多くありました。

生きていることが辛くても、死後の世界があるのであれば、そこに希望を見出して生きていこうと思いました。

このように、生きづらさをずっと抱えながら子ども時代を過ごしてきました

悩みが多かった中高生時代

中学1年生のときに下の妹が産まれたことを理由に同級生からバカにされたり、へんなあだ名をつけられたりしました。

本当に悔しくて、いつか必ず見返してやろうと思いました。

また、田舎の荒れた中学に通っていましたので、不良に絡まれて殴られたり、理不尽な扱いを受けることも多く、ビクビクしながら中学生時代を過ごしていました。

学業だけは優秀でしたので、早く、こんな奴らと別れたいという思いで一杯でした。

そんな中、地元でトップの公立と私立にダブル合格、特に私立は学校内でも5人しか合格できませんでしたので、本当にうれしかったです。

結局地元トップの公立高校に進学することになりました。

その高校は、東大京大約30人、旧帝大が約100人程合格している高校でした。

それまでほとんど勉強する習慣もなかった私は、周りの同級生の凄さに圧倒され、学業も低迷するようになりました。

また、すっかり人付き合いが苦手になっており、自分から話しかけたりすることがほとんどできませんでした。

このように、人間関係にもなじめず、部活も3か月で退部し帰宅部になり、無気力に学校と自宅を往復するだけの日々を過ごしました。

自分の悩みを誰にも打ち明けられず、将来どうしたらよいかも分からず、当時の自分は本当にお先真っ暗でした。

3年生になり、さすがにこのままではマズイと思い、少しずつ勉強を始めました。

その結果、何とか地元の公立大学に合格したものの、目標の旧帝に及びませんでした。

依然として経済的に苦しく就職するよう親に言われましたが、納得がいかず勝手に宅浪することに決めました。

人間性を回復していった宅浪時代

浪人時代は経済的に貧しかったので宅浪するしかありませんでした。

ただ、これまでのように、余計な人間関係に悩まされる必要はなく、中学校時代仲の良かった親友と一緒に宅浪生活を送ることができました。

辛い時代を一緒に過ごした彼とは、今でも付き合いがあり、たまに会ってはお互いの近況を話したり、励ましあったりしています。

私にとって宅浪時代は、本来の自分を取り戻し、これからの人生をどのように生きたいのかを考える時期にもなりました。

受験そのものは、一橋大学を受験して失敗してしまい、滑り止めの国立大学に進学することになりました。

しかし、以前のように絶望的な気持ちになることはなく、大学で巻き返そうと心に誓っていたのです。

さまざまな経験をし充実した大学時代

大学受験に失敗たものの、1年遅れで大学生となりました。

悔しくてたまらなかったため、大学生のうちにリベンジのため難関資格を狙うことに焦点を定めました。

そのため、資格試験に通う専門学校代を捻出するため、バイトを始め、複数のバイトをかけもちするようになりました。

その結果、以前より人間関係を構築するスキルが上がり、友人にも恵まれるようになりました。

また、大学生活を充実させるため、趣味や勉強のサークルにもかけもちで入りました。

この頃、ようやく女性とも話せるようになり、初めて恋愛も経験しました。

こちらはうまくいかなかったのですが、貴重な経験をすることができたと思います。

資格試験のほうは、大学1年で簿記3級、大学2年で簿記2級合格することができました。

その後、独学で国税専門官試験の勉強を開始、大学3年時に国税専門官試験に合格することができました。

国税専門官試験に合格したことにより、就職先を確保することができましたので、難関資格への挑戦権を得ることができました。

その後の1年間は、難関資格合格のため、専門学校に通いながら、大学の図書館で夜10時まで勉強しました。

これまでで最も勉強した1年間でしたが、夢破れ、不合格となり、国税専門官の道に進むことになりました。

このように、バイト、資格試験のための勉強、かけもちで入ったサークル活動の三本立てで充実した大学生活を過ごすことができました。

辛い出来事を経験した国税専門官時代

公務員試験を経て国税専門官となりましたが、国税専門官となった私に、再び試練が訪れることになりました。

まず、配属された部門が最も希望していなかった部署になったこと、また、パワハラを受けたりさまざまな悩みを抱えることになりました。

その結果、ストレスをどんどん蓄積させる結果とな、国の特定疾患に指定されている潰瘍性大腸炎を患い、入院生活を余儀なくされました。

自分には国税専門官は向いていないと思い、いっそのこと退職してカトリックの神父になろうと本気で考えたこともありました。

しかし先輩の支えもあって、何とか職場に踏みとどまることができました。

その後、縁があり今の妻と結婚し、その後娘が産まれ、幸せな家庭生活が始まったかに見えました。

しかし、更に試練は続きました。

職場でのパワハラは留まることを知らず、仕事や人間関係の悩みは尽きませんでした。

また、父や弟、更には職場の先輩を病気や不慮の事故で亡くすなど、さまざまな辛い出来事を経験しました。

それらの出来事は、人生の儚さや無常さをかみしめるには十分すぎるほど辛く、苦しい出来事でした。

そのような経験をした私は、国税専門官時代は特に出世意欲をもつことはなく、なんとなく過ごしていました。

しかし、無理やり受けさせられた専攻科試験に合格してしまったことがまたもや人生の歯車を狂わせることになりました。

出世レースに余儀なく巻き込まれることになり、これまでののんびり路線を変更せざるを得なかったからです。

無理に自分を戦闘モードに切り替え、何とか適応しようと努力をしました。

しかし、もともと自分がやりたいことではく、いつも苦しそうに仕事をしていたと回想しています。

大きな組織の中で、自分を偽って仕事をすることにだんだん疲れてきました。

また、パワハラや人間関係でさらに苦しむことになり、何のために働いているのかという意味を見失っていきました。

休職期間中、自己を見つめなおす

何とか公務員生活を続けて、勤続20年の国税庁長官表彰を受けることができました。

しかし、もはや私の心身は悲鳴を上げていました。

ついに、これまでのストレスの蓄積や更なる仕事の悩みやパワハラなどで心身が限界に達したのです。

いてもたってもいられなくなった私は、心療内科にかけこみました。

心療内科では最初は適応障害の診断、その後、鬱病から双極性障害Ⅱ型にを診断名が変更となりました。

しばらく勤務しながら心療内科に通っていましたが、それが更なる体調悪化を招くことになりました。

結局、病気休暇の後、休職期間は半年間の長期間に及ぶことになったのです。

この時期は、娘の大学受験の時期とも重なり、家族に大変な迷惑をかけてしまったと今でも本当に申し訳なく思っています。

休職期間中、これまでの出来事を振り返りながら、さまざまなことを考えました。

その結果、どんなに辛い出来事にも、何かしらの意味があるはずだと考えるようになりました。

自分自身を理解し、生きづらさの原因が分かる

また、心療内科に通った際に、心療内科の先生から、自分は、HSPとアスペルガーの気質をもっていることを知らされました。

これまで、私は自分自身の気質をあまり気にしたことはありませんでした。

特に「HSP」は初めて聞いた言葉であり、気になってインターネットや本で調べてみました。

そうしますと、HSPというものにずばり当てはまっていることが分かりました。

また、自分自身のそれらの気質こそが、これまで生きづらく感じていた原因の根っこの多くを占めることが分かりました。

まさに目から鱗が落ちる思いでした。

そして、自分自身の持つ気質について十分に理解し、それと調和しながら生きていくためにはどうしたらよいかを考えるようになりました。

この先どのように生きるかを熟考する

自分の生きづらさの原因が分かったため、悩みの根本を解消するため、民間のカウンセラーによるカウンセリングを受けることにしました。

ただ、カウンセリングによって、問題が完全に解決することはありませんでした。

カウンセリングを受けて分かったのは、今の自分の状況が心理学的な療法のみで改善できるものないということでした。

私の場合は、職場環境そのものが悩みの根本であり、その環境そのものを変えないと、問題は解決しないということが自分自身で出した結論でした。

そのことを家族に打ち明けたとき、家族からは猛反発されました。

今までの経済的に安定した生活を捨てることになるわけですから当然のことだと思います。

何度も何度も転職させてほしいとお願いしたところ、納得はしていないでしょうが、諦めてくれました。

そして、約20年勤務した国税の職場を離れ、転職先を探すことになりました。

その時既に40代半ばを迎えており、条件のいい転職先を探すことは困難を極めましたが、何とか転職先を見つけることができました。

国税専門官を退職し、新たな一歩を踏み出す

改めてこれまでの人生を振り返ると、数々の辛い出来事を経験してきました。

しかし、いつまでも辛い出来事に留まっていては、未来への展望は見えてきません。

大事なことは、これまでの辛い出来事を、ただ辛かった出来事としてではなく、これからの人生にとってプラスになるきっかけを与える出来事として受け止め、これからの人生を前向きに生きていくことだと分かりました。

民間に転職した後も、決して一筋縄ではいかず、さまざまな挫折や苦労がありました。

最初に転職した外資系生命保険会社では、飛び込み営業一本で勝負しますが、1件も契約することができませんでした。

公務員と民間との違いを見せつけられ、自分の考えの浅はかさを思い知らされることになりました。

外資系生命保険会社をクビになって、いよいよ就職先も見つからず、人生もうこれで終わったと本気で思いました。

そんな時、現在従事している塾の責任者の仕事に巡り合うことができました。

塾の仕事は生徒一人一人と向き合い、講師と一丸となって、精神面を支えながら希望の進路に導いていくという仕事です。

生徒や保護者から感謝のお言葉をいただくことがとても多く、これまで人から感謝される仕事をした経験のない私にとって、とてもありがたく、やりがいを感じる仕事に出会うことができ、本当に感謝しています。

公務員から民間に転職して現在はフリーランスで働いており、公務員を退職してから約5年が経過しました。

何のスキルも持たない40代のおじさんが税務と全く関係のない業種に飛び出し、失敗続きながらも、何とか自分の天職を見つけ、現在は、明るく、前向きな人生を送ることができています。

私は、自分の人生を終えるときに、自分のやりたいことをやり切って人生を卒業していきたいと考えています。

人生一度きりしかありませんので、これからも精力的に様々なことにチャレンジし、ワクワクした人生を送っていきたいと思っています。

公務員専門カウンセラーを志したきっかけ

前にも述べましたが、休職時代、心療内科を受診したり、民間のカウンセリングを受けたりしましたが、根本的な問題の解決には至りませんでした。

当時の私に必要だったのは、詳しい心理学の知識を持つ専門家よりも、同じ公務員として様々な悩みや痛みを克服した経験を持ち、私に優しく寄り添ってくれる同伴者だったのです。

そして、現職の公務員でさまざまな悩みを抱えている方々にしっかり寄り添い、それらの方々にとって、今後よりよい人生を送っていただくためのサポートを少しでもさせていただきたい思いが頂点に達し、

「公務員専門カウンセラー」

としての第一歩を踏み出すことを決心しました。

もし宜しければ、こちらのユーチューブ動画「公務員専門カウンセラーを志した理由について」も併せてご覧ください。